2013/03/10



「失ったものの延長線上に何か見えたらいいかなって」

 昼間、NHKの震災復興番組を見ていたら、福島県相馬市の高校で震災をテーマにした演劇をやっている女子高校生がそう言った。そのひとことが、心の中で絡まっていた何かにまとわりついたと思ったら、すっと染み込んで、中からほぐすように溶かしてくれた。

 あれからずっと、「失ったもの」の前で立ち尽くしていた。失われたほうを、過去を、見ていた。自ら囚われて、そこから離れられずにいた。失ったことで終わった、と思っていた。でもほんとうは違っていた。

 よく見ると、過去からこちらに向かって伸びてくるいくつもの延長線は、途切れることなく足下をすり抜けて、ずっと先まで続いている。ぼくは体の向きを変え、それを追わなければならない。その先に何があるのか、確かめなければならない。カタチは消えてなくなったかもしれないが、意味は何ひとつ失われてなどいないのだ。

 何もかもが変わり、どこを見て歩けば良いのかわからなくなっていた。まずは地図を取り戻すことだ。微かに続く延長線を手がかりに、もう一度じぶんの地図を描き直す。けっして過去のじぶんのためではなく。新しく迷う日のために。新しく躊躇うときのために。

 そんな覚悟が生まれた。