2013/03/30


コブシの花を好きになったのはいつだろう。
二十歳を過ぎ、よく山歩きをしていた頃だと思う。
早春の、まだ色彩の乏しい景色の中で、ぽっとそこだけ浮き立つように白く輝いているあの樹はなんだろうと思った日。
少し近づくと、無数の灯を載せた燭台に見えた。
その後、高石友也とナターシャセブンの歌に出てくるコブシはあの樹だと気づいたんだ。

生きている鳥たちが 生きて飛び回る空を

あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは

目を閉じてご覧なさい 山が見えるでしょう

近づいてご覧なさい 辛夷の花があるでしょう

(「私の子供たちへ」 作詞・作曲:笠木透)

この歌は子供いないのに泣けた。
いまは子供がいるからより一層現実味がある。
残してやらなければ。


阿弥陀寺の枝垂れ桜。
RAW現像でいじったら面白い表現ができた。
ので monochrome タグを作った。
Nikon D70 + TAMRON 28-75mm F/2.8 MACRO (A09)

2013/03/29


この花は坂口良子さんに。
今までどうもありがとう。
さようなら。
どうぞ、安らかに。


以前から評判を耳にしていた阿弥陀寺の枝垂れ桜を見に行った。
この季節になると父が好んで写真を撮りに行っていたというその桜は、聞いていた以上に見事だった。
他所にはもっと花の多い枝垂れ桜もあるけれど、このぐらいの風情もまた良いと思える。
玄関に飾ってある写真はかなり前のもので色も褪せているから、今年の桜に掛け替えようか。

ついでに瑞龍小学校の桜の様子も見てきたけれど、こちらはまだ咲いていなかった。
来週以後、四月の桜だ。

2013/03/28



一昨日か、水戸の千波湖に桜の様子を見に行った。

今年は全国的に桜の開花がやたらと早く、花見に合わせたイベントの前倒しが相次いでいるそうだが、仙波湖畔の桜は奥の方に何本か満開のがあるけれども他はまだという感じで、今週末からだなと思った。
何しろ品種が多くそれぞれ咲く時期も異なるから、いつが満開と言いにくいのが千波湖であるというのは昨年学んだ。

湖岸にはコクチョウやらマガモやらオオバンやらが暢気に群れており、カモメも風に向かって飛んだりしていた。カモメはハト並みにいた。
バスガイドに連れられた一行がコクチョウを見て「ハクチョウはいないの?」と尋ねたところガイドは「もう飛んで行ってしまいました」とテキトーなことを答えていたけど、ハクチョウは、いる。
好文Cafeでアイスコーヒー飲んだあと、湖畔でコクチョウに話しかけていたらペタペタ歩いてやってきた。

動物に近寄って来られる時の感じというのはじつにいい。
とくに大きめのやつはそれがエサ目当てだろうとなんだろうと期待と不安で胸が高鳴る。
しゃがんで見てたらペタペタペタペタと蛇行しながら目の前までやってきてしばらくぼくを睨んだあと、何もくれないとわかるとペタペタと去って行った。

あの目はネコと同じで"何か考えてる"目だ。
なんとなくだけど、話せばわかる気がするのはそのせいだと思う。



三月半ば、枝垂れ梅の足下に植わっている木瓜の花が咲いた。
これが黒潮という品種であることを母は一週間ほどかけて思い出した。
奥の方ではピンクの木瓜も咲いているが、そちらは忘れたままだ。
今年思い出されることはないだろう。

黒潮についてググり、最初に選んで見たページにあった鉢植えの品種名札に「日本ボケ協会」と書いてあったから、「日本ツッコミ協会」もあるんやろなとツッコんだ。

ちなみに「木瓜」という表記は今日これを打ってようやく思い出した。
瓜と似たところがあるんだろか。

2013/03/15



猫に名前はあるのだろうか。
人がつけた名前ではなく、彼らの社会での話。
他の猫を、というか、じぶんや世界を、
どのように認識しているのだろう。

人にはあらゆる事物事象に名前をつける能力があり、
そのおかげでかなり高度な思考ができるらしい。
人は名前つまり言葉を駆使して考える生き物だ。
ろくなことは考えていない気はするけど。

猫はどうだ。

2013/03/12



妙に大きな鳥が電線に留っていた。
カラス?違う。ハトよりは遥かに大きい。
ノスリかと思ったが、それにしては黒っぽい。
トビか。いつもは電柱のてっぺんなのに珍しいな、と思いながら
ちょうど向き合うあたりで自転車を停めたらばさりと舞い上がった。
紛れもなくトビだった。

そのあとこれまで足を踏み入れたことのない一帯を巡ってみた。
ふとしたことで、そこに行ったことがないと気づいたからだ。
しょっちゅう通るふたつの街道に挟まれた小さな一角。
なんということはない町だけど、見たことのない町だった。

その足で久しぶりに町外れの喫茶店に顔を出した。
フロアには小さな着物が飾られており、俄に華やいでいた。
ママさんに初孫ができたそうだ。
女の子。おめでたい話だ。
でも小さな着物はとくに赤ちゃんのものではなかった。

それからしばらくイヌやネコがいかに素晴らしいかについて話し込んだ。
「私がイヌにしてやるよりもずっと多くのことをイヌはしてくれているんです」
そのとおり。ネコもそうですね。
「飼ってるって言い方は嫌ですし、エサなんて言わないんです」
まったくですよ。まったくです。

店を出てすぐに、赤ん坊を重そうに抱いて歩いてくる若いお母さんとすれ違った。
日射しが眩しいのか歩くのが辛いのか、少し険しい表情をしていた。
がんばれ、がんばれ、と心の中で声をかけた。 



2013/03/11



3.11。自転車で河口まで行って、波打ち際の砂浜から海を見ていた。
14時46分に、海から遠く低く汽笛が聞こえてきた。
空は晴れていて、少し冷たい風が吹いていた。

数分後に突然、港の方からカモメの大きな群れがやってきて、
ちょうどぼくの頭上で舞い上がり始めた。
小さな輪を描いてすごいスピードで飛び交いながらいっきに高度を上げる。
その光景に思わず息を呑んだ。
見上げているうちに首が痛くなるけれど、目が離せない。
カモメたちはなおもぐるぐると回りながら、次第に太陽に近づいてゆく。
強烈な逆光のなかで、黒い影と白い輝きが交錯する。
手をかざして光を遮り、目を凝らして追いかけてみたけれど、
じきにそれが鳥だとわからないほど小さな点になって、
強い光の彼方に吸い込まれていった。

カモメに運ばれて、たくさんの魂が天に帰っていった。

そう感じた。

そうであったらいいなと思った。





2013/03/10



「失ったものの延長線上に何か見えたらいいかなって」

 昼間、NHKの震災復興番組を見ていたら、福島県相馬市の高校で震災をテーマにした演劇をやっている女子高校生がそう言った。そのひとことが、心の中で絡まっていた何かにまとわりついたと思ったら、すっと染み込んで、中からほぐすように溶かしてくれた。

 あれからずっと、「失ったもの」の前で立ち尽くしていた。失われたほうを、過去を、見ていた。自ら囚われて、そこから離れられずにいた。失ったことで終わった、と思っていた。でもほんとうは違っていた。

 よく見ると、過去からこちらに向かって伸びてくるいくつもの延長線は、途切れることなく足下をすり抜けて、ずっと先まで続いている。ぼくは体の向きを変え、それを追わなければならない。その先に何があるのか、確かめなければならない。カタチは消えてなくなったかもしれないが、意味は何ひとつ失われてなどいないのだ。

 何もかもが変わり、どこを見て歩けば良いのかわからなくなっていた。まずは地図を取り戻すことだ。微かに続く延長線を手がかりに、もう一度じぶんの地図を描き直す。けっして過去のじぶんのためではなく。新しく迷う日のために。新しく躊躇うときのために。

 そんな覚悟が生まれた。

2013/03/09



51回目の結婚記念日を母はひとりで過ごすことになったが、
ちょうど庭の梅が咲いたので、それを喜んでいた。
仏壇に飾られた小枝に濃いピンクの花がきれいだ。

午後、買い物を兼ねてボードウォークに乗った。
高校の土手にもタンポポがちらほら咲いていた。
他の場所もそうだが、どれも茎がほとんどない。
地面から直接花が咲いたような姿だ。
裏返してみるとやはりセイヨウタンポポだった。
この時期にもう種を飛ばしている。
うちの庭でも一週間前にはすでに一輪綿毛をつけていた。

冬の間に消滅したキウイ畑のカントウタンポポは今年どうなるか。
去年のキジのつがいはまたあそこに来るだろうか。
庭に蒔いたカントウタンポポの種は芽を出すだろうか。

いろいろと気になる春ではある。

*写真はE3500。周囲が明るいと液晶がまったく見えないのは仕方ないけど、まあそこそこ撮れるかなという印象。
カラスという鳥は見ていて飽きない。
アタマが良いし、動きもおもしろい。
次に何をするだろうかとつい見入ってしまう。

ゴミを荒らすとか人を襲うとかいわれてるけど、
カラスとなら話し合いの余地もあるんじゃないかとすら思う。
どうだろうね。

2013/03/03



最後に観覧車に乗ったのはいつだったろう。

ハンブルクの夜に忽然と現れた移動遊園地のあれか。

あれは楽しかった。

「夢のようだ」と思うことってほんとにあるんだな、と思った。

子持ちのおじさん三人連れなのに、楽しくてしょうがなかった。

これは今日の海浜公園。

動いてたのかな。誰も乗ってないみたいだ。

ハンブルクをハンブルグという人はイバラキをイバラギという人より多いだろうな。

・・・ハンブルクと茨城が今夜つながるとは。

2013/03/02



あの日からちょうど四ヶ月。

父のデスクから古いデジカメが出てきたので、使えるかどうか試してみた。
Nikon Coolpix 3500。ちゃんと写る。いいじゃないか。
バッテリーはさすがにヘタっていたので、サンヨーセルの互換品を一個注文した。
なんたってE950やE5000を大事にしてる息子だからな。まだしばらく使わせてもらうさ。

そういえばこの時計も父の遺品だ。

入院中に「だいぶ緩くなったので二コマほど詰めてくれないか」と頼まれたから、言われたとおりに詰めて持っていった。取り説には専用工具不要で簡単などと書いてあったが、じつはそうでもなかったんだ。それから最期まで、父はこの時計をしていた。

四ヶ月前のあの日、時計の必要のなくなった父の腕から外して眼鏡と一緒に持ち帰り、詰めたコマを元に戻して、今ではぼくが毎日つけている。

でもカメラのテストで撮ったこの写真を拡大して見るまで、カレンダーが30日になっていたことに気づかなかったよ。

2013/03/01



三月一日、春一番が吹いた。

カフェのガーデンのテーブルも春向きに設えてあった。

今度行くときはそこに座ろう。

[at SAZA COFFEE 本店 ]