2012/11/25



記憶は、外部に定着すると、記録に変わる。

やがて記録が新たな記憶となって、元の記憶を塗り替えてしまう。

ぼくが見た空はこうではないと、この写真を見るたびに思っていたら、

それを少しは防げるだろうか。

2012/11/02

2012/10/29



Milvus migrans (Tobi)
Tatsunokuchi, Hitachi-Omiya, Ibaraki, JAPAN

翼の模様がきれいなのでよく見えるようにした。



空は鳥のものだ。

目がそう語っている。

2012/10/19



光は、光のままでは目に見えない。

何かを照らすことで輝き、そこに光があることを知らせるのだ。

想いが言葉になることで、姿を現すのと似ているかもしれない。

2012/10/15



「ボ」のお陰で「ボ」を逃れた。

なぎさ公園にて。

2012/10/12



二度目の釣り。

これで帰ると決めた最後の一投を健気に引いたイサキのベイビー。
どうしたことか今の今までなんという魚だか思いつかなかった。

イサキだよイサキ。
どう見てもイサキ。

この日も他にボラ一尾。

2012/10/10



釣りに行った。

前回がいつだったか思い出せないほど久しぶりに。
最後はたしか横浜の海釣り公園ではないかと思うのだが、その記憶もあやふやだ。もう四年ぐらい経つ気がする。

まだアジをやってる人がいると釣具屋で聞いて港を覗いたら、横風の魚市場前で三、四人の老人がウキ釣りをしていた。エサは何か聞かなかったが、たしかにアジを狙っているのだと言っていた。
他の数人は皆、風を背中に受ける恰好でさびきやらチョイ投げやら。釣れている気配はどこにもない。

「今はちょうど魚の変わり目でダメだ」

自転車で来ていたおじさんが言った。

「朝方は釣れてたようだぞ」
「昨日は良かった」
「先週来ればなあ」
「先月まではすごかった」
「去年は良かったんだがな」

これまでに何度聞いただろう。
釣れない日の釣り師の話はどこでも同じだ。
釣り場に戻って来た、と感じた。

地震で崩れたままの岸壁から竿を出し、ちょうど二時間でイワシが二尾とボラが一尾。

今日はこれでいい。また来よう。
そう決めて、ボラを放し、小さなイワシをクーラーにしまって、竿を畳んだ。

2012/10/04



川の夕暮れ。

日没を追って自転車を走らせ、辿り着いた橋の上でしばし眺めた。

頭上では鷺の一団が何度も旋回し、やがて東の方に飛んで行った。

2012/10/01



おはよう。




昔ある詩人が言った。

「ねこに未来はない」

ふむ。

今だけを生きている。今が眠ければ眠るだけだ。未来なんて関係ない。

そういう寝方をするネコが好きだ。

2012/09/11


ついこの間「宇宙の始まりに神は必要ないことがわかった」と、ホーキング博士は言ったんだ。

その国にはどうしても神が必要だと思っている人が大勢いるから。

だけど九年前に、別の神を信じる人が、飛行機ごとその国の高層ビルに突っ込んで、何千人もの人間の命が失われた。

六十五年前に、その国から来た爆撃機が、広島と長崎に原爆を落として、何万人もの人間の命が失われた。

宇宙の始まりに神が必要ないのではない。宇宙そのものに神は必要ない。だから神などいない。

ぼくは理論物理学者ではないけれども、そのぐらいのことはとうの昔にわかっている。

ぼくらに必要なのはことばだ。



と書きかけてやめた2010.9.11深夜のメモが残っていた。

2012/05/10


5月に入ってすぐ、カエルを見に行った。

鳴き声はするのだけれど、なかなか姿が見つからない。

200mmをつけたカメラを望遠鏡がわりに田んぼを隈無く探したら、

そこにいた。

一匹は水の中で、もう一匹はこれ。

この色だもの。見つかるわけがない。

いったい何をどうしたらここまで化けられるのか。

ねえダーウィン。

2012/04/25



猫に限らず動物と目が合うというのは、自分がいきものとして認められたようで、うれしくもあり、少し不安でもある。

いずれにしろ、猫は美しい。

2012/04/18



小さな祠を護るかのように満開の桜の樹があり、物語の挿絵のような道が、その向こうに橋を渡って続いていた。あの橋の先には非日常的な何かがあるのではないかと思って行ってみたところ、そこにあったのは、ごく普通の民家だった。

ある意味で、非日常的な何かではあった。

2012/04/17



それは見たことのある風景だった。

いつ、どこで、誰と見たのか思い出せないし、

見たことがないのかもしれないけれど。

This is my very first posterous!