2014/09/23


秋分の日。
父の墓がある神社のみたままつりに参列し、帰りに笠間稲荷神社に寄った。
参道に軒を構える神具商の店先に並ぶ、狐、狐、狐。
お稲荷様だからキツネである。

帰りの笠間街道で、タヌキが轢かれているのをみた。かわいそうだった。
誰かが端に寄せてくれたのかクルマに弾き飛ばされてのことかわからないが、つい先までタヌキだった毛皮の塊は頭をこちらに向けて路肩に転がっていた。

ふと、キツネもタヌキも昔から日本人にはなじみの深い動物なのに、なぜキツネのほうが神様の使いとして稲荷神社に祀られることになったのか気になった。

"宇迦之御魂神の別名に御饌津神(みけつのかみ)があるが、狐の古名は「けつ」で、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのが発端と考えられ、やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった。" - wikipedia より

なるほど。音なんだ。
姿形や生態ではなく、呼び名の問題か。

日本語は音と訓を縦横無尽に使い分けるが、神道ではとくに音を大切にするということは、奇しくもかつて笠間稲荷の塙宮司に教えていただいた。
今から22年ほど前、宮司はぼくが企画書に"SPACE"の意味で書いた"間"という文字を指して、「考え方はおもしろいけれど、神道では"マ"という音は好みません。"魔"に通ずるからです」と話されたのだ。言霊が現代の日常に活きていることを思い知らされた瞬間だった。

もしもタヌキが「けつ」と呼ばれていたら、神具商の店先にはタヌキが並んでいただろうか。そもそも動物の呼び名はどのように定まってきたのか。

いま、アタマの中ではBob Dylanの"Man Gave Names To All The Animals"が流れている。書き始めたときには考えもしなかった展開だ。

今夜は久しぶりに"Slow Train Coming"を聴こう。

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